白山神社
江戸時代の初め1633年(寛永10年)、長岡藩が白山神社の神体を観音像に収めて本地仏にしたそうです。また同じ江戸期に、境内に新潟町の商人が蔵を建 てたことも有名で、神社の境内は、白山掘りがわきを流れ、お米や物資の運搬、積み出しにたいへんにぎわっていたそうです。幕末になって、新潟町が幕領とな ると、神社の裏手に緊急備蓄米の倉庫、備荒蔵が作られ、政治の要所としても活躍しました。
 また現在でも市民が心待ちにしている白山神社の祭礼では前日の宵から、現古町通1〜4番町の神明町や境内に提灯の明かりが灯り、参詣に訪れる人も多く、夜遅くまでの宴とともに盛り上がったそうです。
 日本最初の公園の一つと言われる白山公園を散策する人も多く、神社は人々の憩いの場、文化施設密集地にある歴史建造物として、新潟市のシンボルマークの一つになっています。